主体的であること
「7つの習慣」という本に出てくる第一の習慣が
「主体的である」だ。
「主体的」と聞くと、
「自発的に率先して行動する」こと
をイメージする人が多いと思うが、実はそれだけではない。
「人間として、自分の人生の責任を引き受けることも意味する」
と著者のコヴィー博士は言う。
「私たちの行動は、周りの状況ではなく、
自分自身の決定と選択の結果である。」とも言っている。
これを聞くと、出来事はすべて自分がどう捉え、選択し、行動したのか
でできていると考えることができる。
嬉しいことがあったとき、悲しいことがあったとき、
大変な状況、乗り越えて見えてくる希望、
そのすべてが自分の選択からできているのである。
物事を人のせいにしている間は主体的な生き方はできない。
自分にできることを考え、行動することこそ主体的なのである。
ただ、自分ではコントロールできないものも世の中には存在する。
それに対しては穏やかな気持ちで受け入れて生きるすべを
身につけていけば、振り回されることはなくなるのである。
主体的な言葉を使う
主体的な言葉と反応的な言葉というものがある。
主体的な言葉は
- 私は選択する。
- 私は~のほうがよい。
- 私は他のやり方を探す。
- 私は~しよう。
- 私は適切な対応を選ぼう。
という具合だ。
では反応的な言葉とはどのようなものだろうか。
- 私はいつもこうやっている。
- 私は~しなければならない。
- あの人は頭にくる。
- 私はできない。
- ~でさえあったら。
というものだ。「~しなきゃいけないからさぁ。」というような言葉、
使っている人が多いのではないだろうか。
これは反応的な言葉であり、無意識のうちに嫌々やっている感や
やらされている感を自分自身と聞いている相手にも植え付けてしまっている。
そんな反応的な言葉を使っている自分に気づいたときはチャンスである。
反応的な言葉を使った自分を自覚し、
主体的な言葉に言い換えてみよう。
自ら選んでその行動をすると表現すると、プラスな思考が加わって
得られる成果も天と地ほどの差が生じるであろう。
小さな積み重ねを大切に。
まずは自覚し、言い換える。を習慣にすることで、最終的には
反応的な言葉が出てこないのが普通になる状態を目指したいものである。
人生を豊かにできるかどうかは自分次第。
「7つの習慣」に出てくる「原則」に従い生きていこうではないか。
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